江戸川乱歩全集のこと

 昔(今から二、三十年前)、元日の新聞を開く楽しみの一つに、出版社の広告を見ることがありました。新潮社、文藝春秋をはじめとする大手の出版社が、その年の出版予告を大きく載せていたからです。
 それをみて「エッ、あの人の個人全集が今年の秋から出るのか」とか「あの寡作作家の全集で全25巻ということは断簡零墨まで納めた決定版になるな」とか「今年の夏からはあの全集をそろえるために小遣いを始末しておく必要があるな」なんてことを考えて楽しんでいたものです。
 今も広告が載ることは載るのですが、ずいぶんこじんまりとしてしまっています。やはり読者人口が減ってきたせいでしょうか、個人全集の企画も減ってしまったように思います。
 中には、なかなか優れた作品を数多く出しているのに、全集はおろか作品集すら出してもらえない作家も増えてきているようで、運、不運なんてことまで考えてしまいます。
 今、光文社から文庫版で全集の出ている江戸川乱歩なんて、これまで何度「全集」が出たことやら。ちょっと数えても、戦前の平凡社版、昭和29年ごろの春陽堂版、昭和37年には桃源社版、昭和44年の講談社版、同じく講談社の昭和53年版、「推理文庫」と銘打ってはいたけれど作品収録数では最多の昭和62年の講談社の文庫版、そして平成15年の光文社文庫版、文庫では春陽堂も出しています。角川文庫だって一時期全集と呼んでもおかしくないぐらいの量の乱歩の文庫本を出していました。まだ私の知らないものがあるかもしれません。
 江戸川乱歩の日本の推理小説界における功績は私も大いに認めるものですが、ここまで繰り返し出版しなくてもと思ったりもします。
 これもやはり読者人口の減少に関係しているのでしょうが、ダウン・サイジングと装丁の軽装化が個人全集の世界でも進んでいます。最近に珍しくでかい版の全集だなと思ったのは「池波正太郎全集」ぐらいで、岩波書店でもそれまで菊版だった「芥川龍之介全集」や「漱石全集」をB6版に小さくしてしまいました。角川書店の「中原中也全集」や筑摩書房の「宮沢賢治全集」は、それぞれの出版社が先回全集を出した時よりも作品研究が格段に進んで、箱の中にテキストと研究書が同居するかたちで出版されましたが、本はハ−ドカバ−でなくなっちゃいました。
 先にあげた「江戸川乱歩全集」の講談社版3種類を比べると、昭和44年版が真っ黒の函に赤いクロス張りのハードカバ−の本体、本体にはビニ−ルカバ−が付いていました。
 昭和53年版はB6版なのは同じですが、本体は紙製のハ−ドカバ−、先の版についていたビニ−ルカバ−は無くなりました。(ただし、昭和53年版は装丁が横尾忠則さんで、全巻そろえて順番どおり並べると、箱の背の部分が乱歩好みのおどろおどろしい絵柄になるという工夫がなされていました。)
 昭和44年版が子供向け作品を全面カットしていたのに対し、53年版は主だった子供向け作品を収録しているので、収録作品は増えているのですが、巻数が全15巻から全25巻に大幅に増えているのは、1巻あたりのペ−ジ数が減ったからで、収録作品が6割も増えたというわけではありません。
 昭和62年版の文庫版の「江戸川乱歩推理文庫」は見つけうる乱歩作品を全て収めたものです。
 収録作品は版が新しくなるたびに増えていって完璧な「全集」に近づいていっているのに、装丁は簡素化されていく。コレクタ−としてはどれを揃えるべきか悩んでしまいます。
 私の場合は、江戸川乱歩に興味を持ちはじめたのが昭和51年ごろで、日本推理小説界のパイオニアの業績を揃えるべく昭和44年版の全集を少しづつ読みながら買っていたのですが、そこへ新しい全集が出ることを知り、最初から出直して昭和53年講談社版全25巻全集を買い揃えました。後に文庫版全集にもっとたくさんの作品が収められると聞き、大いに悩んだのですが、文庫を揃えて箱入りハ−ドカバ−本を処分する決心もつかず、また、2種類の全集を買い揃えてともに置いておく資金的余裕もスペ−ス的余裕もなかったので(他にも買いたい本は山とあったので)、結局、所有している全集に収録されていない作品が載っている文庫だけを買って補うという形になりました。
 今、私の書庫には昭和44年版「江戸川乱歩全集」が7、8冊と、昭和53年版「江戸川乱歩全集」がコンプリ−ト(揃い)で25冊と、「江戸川乱歩推理文庫」が何10冊か納まっています。