「南極物語」から

 テレビで「南極物語」(日本版)をやってました。
 南極に置き去りにされたワンちゃんたちが必死に生きのびようとするシチュエーションを日本版「南極物語」から貰ってディズニーが新たに作ったアメリカ版「南極物語」の公開にあわせたものです。
 アメリカ版に出演しているワンちゃんたちは、血統書付きの由緒正しい犬ではなく、保険所預かりになっていたような雑種犬だそうです。

 
 去年でしたか「トリビアの泉」というテレビのバラエティ番組で、
「災害時の人命救助や犯罪捜査に活躍する犬はほとんどが血統書つきの純血種だが、では、雑種犬の場合はどうか」
などといって、散歩時に飼い主が急に倒れ込んだり、悪漢に拉致されたとき飼い犬はどう反応するかを面白おかしく放送していました。(視聴率がよかったのか、最近も番組のなかでおなじものを再放送していました。)
 「ドッキリ」の標的にされた雑種のワンちゃんたちの中には助けを呼びにいったり拉致される飼い主を必死に追いかける犬はほとんどおらず、結論は「りこうな犬は純血種にかぎる」といった方向に視聴者をミスリードする、まるでペットショップ組合かナチスドイツがスポンサーであるかのようなものでした。


 しかし、どんな純血種の犬でも訓練して仕込まなければ、盲導犬にも、人命救助犬にも、犯罪捜査犬にもなれないはずです。
 訓練された犬と、訓練を受けていない犬を比較してその違いを「純血種」か「雑種」かで論じるのは論理のすり替えというものではないでしょうか。
 「純血種」と「雑種」を同じ期間同じように訓練し、それで「雑種」のほうが物覚えが悪かったというのなら私もそれなりに納得しますが。


 植物にせよ動物にせよ、ある一点の能力だけでみると純粋種のほうが優れているということはあるものの、総合的に環境に適応する「生命力」は雑種のほうが優れている場合が多いのではないか。
 希少価値から血統書つきの純血犬に高値がつくことは理解できるけれど、それと犬の評価の高低は別問題じゃないか―と私は思うのであります。


 マア、たあいのない「無駄知識」番組のことなので、それを見たときにまじめにそんなことを思ったわけではないのですが、アメリカ版「南極物語」で見事な演技を見せるワンちゃんたちが雑種犬だと聞いて、以上のようなことを考えました。

もういちどWBC

 野球のことはあまり詳しくないので、もう書かないつもりだったのだけど、きょうの「アメリカ×メキシコ」戦でアメリカがアララの2失点負けしたせいで、棚ボタ式に日本チームのWBC準決勝進出が確定するという椿事が起こり、とりあえず「あと二試合ガンバレ!」とエールを...
(なんか、葬式やってる最中に死んだはずの人が棺桶から頭をもたげ出してきたような驚き...)


 それも、日本×アメリカ戦で露骨なホームタウンデシジョンをやった例の審判員が、またまたメキシコに対する嫌がらせ判定をしたというのに、それをはね返しての勝利!


 朝のワイドショーで「メキシコは自分たちが敗退確定だから、選手全員で(練習もしないで)ディズニーランド見学に行ってるらしい」なんて絶望的にしゃべっていた小倉智昭さん、月曜日の放送ではメキシコチームにいちおう詫びをいれとかにゃあ、なりません。
(そのときには、準決勝での対韓国戦の結果が出ていますな。3度目の正直となっていますかどうか。)
 今晩のNHKの10時のニュースでは、WBCのニュースの前に輸入牛肉のニュースをやっていて、アメリカ産牛肉の輸入停止を受けて最近あらたにメキシコ産牛肉が増えてきているそうな。メキシコさん、日本でこれからもっと牛肉売れまっせ。

 

残念!ワールドベースボールクラシック

 うーん、無念。
 WBC2次リーグ、日本は韓国チームに負けちゃいました。


 サッカーは十数年前まで韓国との間に歴然とした実力の差があって、日本はなかなか韓国に勝つことが出来なかった。最近ようやく実力の差がちぢまって、代表チームどうしの試合では五分と五分のところまで追いついてきてます。(ただし、一般のプロチームの平均実力の差はどうなのかよく知りませんが。)


 逆に野球はつい最近まで日本のほうがはるかに実力があったはずなのに、今や代表チームの実力は完全に五分五分ですね。(ただし、一般のプロチームの平均実力の差はどうなのかよく知りませんが。)


 つまりは、日本と韓国でいろいろなものが均質化してきている。ワールドベースボールクラシックでの日本チームの韓国チームへの2連敗もそのあらわれの一環ということだろうと思います。


 これからもワールドベースボールクラシックが継続しておこなわれるのなら、例えばボールの規格などははやいところ世界基準に合わせておくのが得策のように思うのですが。


 今回の敗退でヤンキースの松井君などはそうとう立場を悪くしそうですね。表立っての非難をする人はいなくても、心の奥底の部分で抜きがたい「アンチ松井」心情を持ってしまった日本人は多いのではないでしょうか。
 とくに、号令一発祖国のために大リーガーの立場をいったん凍結してでも代表チームにはせ参じた選手の多くいる韓国との試合での負けが、日本の敗退の第一原因だけに、松井君、よけいに分が悪い。


 私はスポーツ全般に疎いほうなので、プロ野球チームの再編問題がおきる2年前まで、大きな勘違いをしていました。
 数あるプロスポーツの中で、さすがにプロ野球は歴史が長いだけあって、底辺の草野球、少年野球から頂点のプロ野球までのあいだにガッシリとしたピラミッド型のシステムが出来ている――そう思い込んでいました。


 2年前の再編問題のいざこざのさい、その間違いを知らされたのです。
 ガッシリしているかに見えるピラミッド型システムに大きな断絶面があったり、トップのプロ野球チームのオーナーたちがじつに旧態依然とした考え方の人たちだったり、「サッカーのJリーグのほうがずっと近代的、合理的な組織作りが出来ている」ということもそのとき初めて知りました。


 考えてみるとこれは何の世界でもそうで、長い歴史をもっているとその歴史に邪魔をされて新しい形に切り替えることがしにくい。
 例えば、新しい街を造るとしても、何もないところにだと最初から将来を見据えた広い道路などのインフラ整備をドンと出来るけれど、何十年も前に形づくられた街を作り直すとなると道を広げること一つとっても土地の買収などがずっと面倒になってきます。
 かといって、そのままにしておくと街は近代化から取り残されどんどん人のすみづらい場所になっていって寂れてゆく。
 プロ野球の世界もテレビの視聴率の凋落なんか見ていると年々寂れていっている真最中に思えてなりません。


 今回のWBC敗退と日本のプロ野球界の組織論は、とりあえず別問題ではありますが、才能ある人材を有効にすくいあげ合理的に育て上げることの出来るシステムを早急に再編成しないと、
 人気が落ちる→儲からない→いい選手が集まらない→人気が落ちる
 の悪循環の繰り返しで、ジリ貧になってゆくように思います。
 早い話、悪循環を断ち切れて日本のプロ野球の実力が格段にアップし、10大会続けてWBCでアメリカより上位になれば、大リーグへの頭脳流出ならぬ「肉体流出」もずいぶん減ると思うのですが。
 

 日本の野球人たちのアメリカ大リーグへのあこがれはそう単純なものではないんですかね。

ロバート・ボルトのこと

きょう「花咲くチェリー ロバート・ボルト戯曲集」という本を店に並べました。


 ロバート・ボルト(1924-1995)といってもあまりなじみのある名前ではないと思います。
 この本には表題作の「花咲くチェリー」(木村光一訳)と「すべての季節の男」(小田島雄志訳)の二作品が収録されているのだけれど、この二作品以外で日本で翻訳されたり公演されたりした彼の戯曲があったのかどうか。
 この文を書くにあたってインターネットで少し調べてみましたがよくわかりませんでした。(本のカバーの折り返しに彼が書いた戯曲の題名が10作近く書かれてはいます。)

 
 イギリス人である彼の名前は、少なくとも日本では、劇作家としてより映画のシナリオライターとしてのほうが有名でしょう。(といっても熱心な映画ファンの間では、という前置きが必要かもしれません。監督までは目をとめても、脚本家までみる人はかなりすくないと思う。)
 彼はデビッド・リーン監督と組んで「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」「ライアンの娘」という大作を世に送り出しました。
 そのどれも脚本家ロバート・ボルトの骨太な脚本と監督デビッド・リーンの繊細な感性がうまくマッチして見事な作品に仕上がっています。
 またこの本にも収められている戯曲「すべての季節の男」はボルト自身の手によって脚色されフレッド・ジンネマン監督の手で映画化されました。自分の宗教的信念から時のイギリス国王ヘンリー8世の行動に断固反対し断頭台の露と消えていったトマス・モアが主人公の人間ドラマで、そのときの日本題名は「わが命つきるとも」。
 ジンネマン監督も、ていねいにていねいに描写を重ねていって人間を描く人で、この映画もなかなかの秀作に仕上がっていました。
(話がそれますが、オードリー・ヘップバーンの映画の中で私が一番好きなのがジンネマン監督の「尼僧物語」。ジバンシーのはなやかな衣装を身にまとったオードリーよりも、ほとんどのシーンが尼僧服姿のこの映画のオードリーがずっと鮮烈な美しさを私の脳裏に残しています。)
 またボルトは「レディ・カロライン」という映画では監督も経験しています。
 彼がシナリオを書いた映画では、「アラビアのロレンス」と「わが命つきるとも」がアカデミー賞作品賞を受賞し、また彼自身「ドクトル・ジバゴ」と「わが命つきるとも」でアカデミー脚本賞(脚色部門)を2度受賞しています。


 ロバート・ボルトがそういう人なので、この本を店の棚に並べるにあたってよっぽど「映画の本」の棚に置こうかと思ったのですが、結局は外国の文学の棚に置きました。


 この本が日本で出版される10年以上も前に映画「わが命つきるとも」は公開されているのだから、もし私がこの本の発行者なら本の題名を「花咲くチェリー ロバート・ボルト戯曲集」ではなく、翻訳者である小田島雄志さんの了解を得たうえで「わが命つきるとも ロバート・ボルト戯曲集」にしただろうと思います。
 「花咲くチェリー」ではあまり食指の動かない人の中にも「わが命つきるとも」の原作戯曲なら買って読んでみようかという人が必ずやいると思うからです。
 げんに映画公開後の芥川比呂志さんらの舞台公演でも、題名が原題直訳の「すべての季節の男」ではなく、わかりやすい「わが命つきるとも」にかえられています。
 (それでもこの本は初版から5年後に出た第2刷ですので、発行者の当初の読みよりかはよけい売れたようですが。)


 この文を書いてきたのも、「これは映画『わが命つきるとも』の原作戯曲が収められた本ですよ」とさりげなく伝えたくてだったかもしれないと今おもっています。


 なお、ロバート・ボルトはイギリス人女優のサラ・マイルズと結婚していました。
 それは間違いないのですが、私には彼が亡くなる前に二人は離婚したような記憶がある。
 その記憶があっているか間違っているかインターネットでいろいろ見てみましたが、とうとう確認できずじまいでした。


 (「花咲くチェリー ロバート・ボルト戯曲集」はすでに売れてしまっています。あしからず。)

柴門ふみ

 柴門ふみさんの漫画を久しぶりに読みました。
 「小早川伸木の恋」(全5巻)です。


 久しぶりといっても、彼女自身が年1作か2作ぐらいしか漫画を書かないのでそうなってしまうだけで、私自身は彼女のほとんどの作品を読んでると思う。


 私の読書記録を見てみると、去年(2005年)は柴門作品は1冊も読んでいません。2004年は「ヴォイス」と「my little town」の2作。2003年がこれまたなしで、2002年が「非婚家族」1作。
 実に寡作なひとです。(別途、エッセイ本は何冊か出していますが。)


 四国で漫画家を多く輩出している県といえばなんといっても高知県です。
 横山隆一やなせたかしはらたいら黒鉄ヒロシはじめずいぶん多くの著名な漫画家がいます。
 徳島県はそんなに多くはないのですが、中に大物の女性漫画家がふたりいます。
 ひとりは竹宮惠子、もうひとりは柴門ふみです。
 竹宮さんは少女漫画の本道を行く画風ですが、扱う題材が斬新で幅が広く、そのスケールの大きさは男性にもひけをとらず、揺籃期の少女漫画界を引っ張っていってその地位を高めた大家といえます。
 柴門さんは、竹宮さんより10年ほど遅い出発ですが、こちらははじめからヤングアダルト狙いの作風で、現代の若者の恋愛心理を巧みに表現して人気を得ました。特に恋愛の「苦さ」を描くのがうまいと私は思っています。絵ははじめから一貫してうまいと思えないのだけれど、あの画風が、描く題材にマッチしているようにも感じます。
 特に「東京ラブストーリー」がテレビドラマ化されたあたりからは、彼女の漫画はテレビドラマの原作として欠かせぬものとなっており、そのほとんどがテレビドラマ化されて、彼女の知名度を押し上げるのにも一役買っています。
 (逆に竹宮さんの漫画はスケールのデカさがわざわいしてか、ないことはないんでしょうが、テレビドラマ化の話はあまり聞きません。最も最近の大作「天馬の血族」なんかうまくテレビ化あるいは映画化できれば「PROMISE」や「ナルニア国」も顔負けのファンタジー作品が出来そうにも思うのですが。)


 私と柴門さんは歳は3歳ほどしか違わず、柴門さんの実家とは直線距離で1キロあるかないかのところで私が暮らしていることもあり、「柴門ふみ」という漫画家に自然興味をもったという次第です。(何年か前に柴門さんはお父さんを登山事故で亡くされており、そのあと家の表札が変わってしまっているようなので、実家のほうは引っ越されたのかもしれません。)


 私は柴門作品も好きなのですが、ご主人の弘兼憲史さんの漫画も好きです。最近ではなんといっても「黄昏流星群」。私が「老い」を感じる歳になってきているせいも少しはあるのでしょうが、昔の「人間交差点」を思い出させる良質の連作短編集です。これに比べると、「島耕作」や「加地隆介」などはワンランク落ちると思うのですが、それでもいちおう購読しています。
 考えてみると、微々たるものとはいえ弘兼家の生計の手助けをずいぶん長いあいだしてきているなあ。


 なお徳島出身の著名な漫画家はほかにも富永裕美さん、山上たつひこさんなどがいます。彼らのファンに恨まれぬように付け加えておきます。
 

啓蟄

 ほんとに久しぶりに新たな古本を棚に並べました。


 といってもたかが数冊ですが、あまりに久しぶりなので出品した本の情報を今までどんな順番で書き込んでいたかすら忘れている始末。
 笑い話にもなりゃしない。

 
ブログに限らずなんでもですが、続けていたことがいったん途切れてしまったら再開するきっかけがなかなかつかめずズルズルと日時が過ぎてしまう。
 エーイ、ことしも去年と同じで「冬眠」から目覚めたことにしよう!
 てなことを考えながらなんとなく暦をみていると、きょうはまさに「啓蟄」ではないですか。


 偶然とはいえ昔の人の季節表現のするどさに妙に感心した次第です。

ことしの日本アカデミー賞

 昨夜、テレビで日本アカデミー賞の授賞式を見ました。

 
 結果は「ALWAYS三丁目の夕日」が主要部門をはじめ多くの賞を受賞。
 授賞式の放映権を持つテレビ局が製作に関係した映画が賞を総なめにするという、大変わかりやすい構図の出来レースでした。
 去年の衆議院選挙の結果が思い出されました。