海野十三のこと

海野十三という作家がいます。
「うんのじゅうざ」が正しい読み方で、徳島出身の人です。
1897年(明治30年)に徳島市内に生まれ(今、私の住んでいる場所から2キロメ-トルほどしか離れていない場所に生家はあります)、亡くなったのは1949年(昭和24年)、東京世田谷区若林の自宅でした。享年51歳。
「日本のSF小説の父」と呼ぶ人もいますが、その作品の範囲は探偵小説、冒険小説まで広がっていて、私は個人的には「日本の小さなジュ−ル・ヴェルヌ」と思っています。(フランスの作家ジュ−ル・ヴェルヌのほうは世界の「SF小説の父」と呼ばれているので「なんだ、同じことじゃないか」と思う人もいると思います。たしかにヴェルヌはその作品の中に潜水艦、宇宙ロケット、ヘリコプタ−といった当時まだ存在していなかった科学の産物を登場させた「SF小説の父」と呼ぶにふさわしい人です。しかしその本質は、読むものを血わき肉おどる世界にいざなう冒険小説の巨人でした。)
海野十三の描く「SF」にはユ−モアの感覚があふれたものが多くあります。
反重力装置で空にプカプカ浮かび目標物をどこまでも追跡する砲弾(「のろのろ砲弾の脅威」)なんて、小説を読まなくても聞くだけで笑みがこぼれてきませんか。
彼の作品はマンガ家の手塚治虫も愛読しており、手塚の初期のマンガには多分に海野十三の影響を受けたんじゃないかと思われるものがあります。
海野十三にとって不幸だったのは、彼が脂の一番乗っていた30代から40代にかけて、日本が戦争をしていたことだろうと思っています。
後の話ですが、戦後彼は、戦争小説を書いたということに責任を感じ一家心中を考え遺書まで書いています。知人の必死の説得で断念はしたものの、彼はそれほど神経の細かい人でした。
1942年(昭和17年)、彼は海軍報道班員として南方に赴くのですが、4ヶ月で体を壊し帰国しています。そのときの従軍記にすでに日本の敗戦を予感するような記述が見受けられる(あくまで、あとで読めば、という程度ですが)ところを見ると、そのとき相当精神的につらいことが多かったのではないでしょうか。
皮肉なことに、現在本屋さんで比較的簡単に手に入る彼の本は「赤道南下」と「海野十三戦争小説傑作集」という従軍記と戦争小説集です。ともに中央公論が8月15日の終戦記念日にあわせて出版した文庫です。「海野十三戦争小説傑作選」のほうは戦時中が舞台になっているというだけのSF、ミステリ−、冒険物も含まれていますが、できれば数冊、戦争から離れた彼の作品集が文庫で欲しいところです。
全集は三一書房から全15巻の立派なものが出ているのですが、これは一般読者が気軽に買い求めて読む気になる本ではないので、やはり最近だと文庫本でしょう。
そうでないと、どうも最近、海野十三の名前がこの彼の郷里徳島でさえどんどん忘れられていってるような気がしてならないのです。
この文も彼のことを少しでもみんなに知ってもらいたくて書きました。
なおパソコンで小説を読むことに違和感のない人でしたら、「青空文庫」に彼の作品は多く収録されています。「古本屋グラッパ」のトップペ-ジに「青空文庫」へのリンクを張ってありますので簡単にアクセスできますよ。

赤道南下 (中公文庫)

赤道南下 (中公文庫)

海野十三戦争小説傑作集 (中公文庫)

海野十三戦争小説傑作集 (中公文庫)