司馬遼太郎全集

続きついでにもう一回、司馬遼太郎さんに関する話を__。
司馬さんをたかく評価している矢沢永一さんが、
司馬遼太郎は、戦後、自分の国の歴史に自信をなくしていた日本国民に、たった一人で、自信を取り戻させる仕事をやってのけた」
という意味の事を書いていました。
他の人のことは解りませんが、私個人に関して言うと、全くその通りです。
高校時代の私は日本史になどまるで興味がなく、「日本史には世界史のような、一夜にして一つの民族が滅ぼされてしまうといったダイナミズムがない。所詮は島国の中でチマチマ政権争いをしているだけじゃないか。」などとうそぶき、大学入試でも「世界史」を選択した人間でした。
それが、大学に入って司馬遼太郎作品の魅力に取り付かれてから、大きく変わりました。
一番最初に読んだ司馬作品が何だったか、一所懸命思い出そうとしましたが、どうしても思い出せない。最初のころに新潮文庫の短編集「人斬り以蔵」を読んだのは間違いありません。この短編集に収録されている「おお、大砲」という短編を読んで「司馬遼太郎という作家はなんてうまい小説を書く人なんだろう」といたく感服した記憶があるからです。
徳川家康から下賜された大砲を、管理する役職まで設けて大事に大事に保管してきた大和高取藩は、幕末の天誅組の乱でこの大砲をはじめて使用する。が、一発売ったら筒にひびが入って使えなくなる。ただし攻め込んだ天誅組のほうは、玉ではなくその音の大きさに仰天、散り散りに逃げ去ってしまう。
そんなユ-モラスな短編ですが(いつものごとく手元に資料をおかずに書いているので細部に記憶違いがあるかもしれません。そのときはごめんなさい。)、司馬さんは一つのオチをつけています。世が変わって明治になってから、そのとき攻め込んだ天誅組の一員と、大砲をぶっ放した高取藩の人間がお互い平民になって大阪の町でばったり出くわすのです。二人は「ああ、あの時の…」とそれぞれ相手のことを思い出し、「あのころはヘンな時代でしたなあ」と短い会話を交わして「ほな、また」と別れて行きます。
そうなんですよねえ。平和な時代だとこんなふうにふたことみことの会話で普通にすれ違う人間が、いくさの時代には殺し合いを演じるんですよね。この付け足しのような後日談がこの短編に深みをつけていますが、司馬さんの狙いはそこではなく、最後の締めくくりの言葉にあったんです。
「徳川の幕藩体制というのも、この大砲と同じようなものだったのかもしれない。」
司馬さんは最初から、大昔に作られて時代に合わなくなっている体制を後生大事に守り続けようとしていた幕府の役人たち(これは今の役人にも通じるものがありますね)を揶揄するために、このユ-モラスな話しを書いていたのです。まずはこの司馬さんの見事な構成力に脱帽しました。
一編一編こんな風に書いてゆくわけにはいかないので、あとひとつだけ。
新選組血風録」の中に「虎徹」という短編があります。
私は司馬さんの「新選組血風録」を読む前に子母沢寛さんの「新選組始末記」を読んでいました。(この本は昭和のはじめに出された新選組に関する聞き書き集で、新選組に関する基本文献の一つとなっています。)この本の「虎徹の話」の項に、近藤勇がどうやって「虎徹」の刀を手に入れたかの4つの説が挙げられています。
徳川家からの拝領説、近藤自身が買ったという説、鴻池家から贈られたという説、斎藤一から貰ったという説の4つです。
司馬さんの「虎徹」を読んだとき、一つの短編の中にその4つの説のうち3つまでもをスト−リ−に取り入れてこれまた見事な短編小説に仕上げてあるのにホトホト感心してしまいました。最初はそのスト−リ−・テリングの見事さから好きになったのですが、読んでいるうちその視点も好きになってきました。「戈壁の匈奴」など、ジンギスカンを描いた作品ですが、井上靖さんの「蒼き狼」とは全く違う作風で、視点は司馬さんのほうが視野が大きく好きです。(詩情では井上さんの勝ち)
大学を卒業するころには「日本に住んで日本のことを考えるには日本史を知らなければいけない」なんてコロリと転向していたのだから現金なものです。
ちょうどうまい具合に、大学時代に文藝春秋社が創立50周年記念出版と銘打って「司馬遼太郎全集」全32巻を刊行中だったのでこれでずいぶん読みました。1巻880円でしたが、1巻に単行本2〜3冊分の内容が収録されていたので、割安でした。
(この文藝春秋50周年記念出版としては「司馬遼太郎全集」だけではなく「松本清張全集」全38巻「五木寛之作品集」全24巻と、当時人気の3作家の作品集が出されていました。この3人の作品は多くをこの作品集で読みました。)
そのあと文藝春秋60周年記念として第2期「司馬遼太郎全集」全18巻が追加刊行され、亡くなってから第3期「司馬遼太郎全集」全18巻が出て、今は全68巻になっています。
この全集で司馬さんの著作活動のほとんどは確認できるのですが、3期に分けて継ぎ足し継ぎ足ししながら出来上がった全集なので、編纂に統一性がなく、例えば「評論随筆集」が第32巻と第50巻と第68巻に飛び飛びで収録されていたり、短編小説が長編小説の後ろにペ−ジ数合わせのように収録されていたりと格好はよくありません。まあ出来上がった経緯からして仕方はないんですが。

人斬り以蔵 (新潮文庫)

人斬り以蔵 (新潮文庫)

司馬遼太郎全集 第68巻 評論随筆集(全巻完結)

司馬遼太郎全集 第68巻 評論随筆集(全巻完結)