梶山季之

先回のアラビアンナイトのことを書きながら「次は梶山季之さんのことを書こう」と決めていました。アラビアンナイトの項で訳者の大宅壮一さんの名前を書いたとき、梶山さんの名前が思い出されたからです。梶山さんは二十代の後半に大宅さん主宰の「ノンフィクションクラブ」に入会していて、大宅さんとは師弟関係にあったのです。
師の大宅さんは生前に評論界の大御所的存在だっただけでなく、なくなられてからもノンフィクション・ライタ−の登竜門的文学賞に名を残していて今でも著名ですが、弟子の梶山さんのほうは、生前膨大な量の作品を書き残しながら、今では若い人たちからはほとんど忘れられた存在になっているようで、たまには私のようなおじさんが話の中で梶山さんのことをしゃべらなくっちゃと、まあミ−ハ−・ファンの心境ですね。
でも、私と同年輩の人でも、梶山季之というと宇野鴻一郎、川上宗薫と並ぶ三大ポルノ作家としか認識してない人も多いはず。確かにそれも彼の一面です。梶山さんはたいへん気のやさしい人だったので、編集者のそのてのリクエストを断ることが出来なかったようです。しかもどんな題材でもすばやく要領よくまとめ上げる筆力を持っていたものだから、編集者から重宝されてしまって次々にポルノ小説の依頼がくる。梶山さんも断れずに受けて書く。その繰り返しで気が付けばポルノ小説の大家になっていました。
私なんかは推理小説が好きで「黒の試走車」あたりから彼の作品を読み始めて「赤いダイヤ」、「小説朝鮮総督府」、そして「李朝残影」をはじめとする京城を舞台にした作品というぐあいに読み進んでいったので、「梶山季之=ポルノ作家」という固定観念はあまりありません。
彼は1975年に取材先の香港で急死します。45歳という若さでした。
彼がなくなった前後の時期、私は東京の文京区千駄木というところに住んでいて、営団地下鉄(現・東京メトロ)千代田線を利用して渋谷の大学に通っていました。表参道駅で下車してそこから歩いて大学まで行くのですが、その道の途中のマンションに梶山さんは住んでいました。出会ったことはなかったものの、「ここに梶山季之が住んでいるんだ」と思いながら、マンションの前を通ったものです。
その彼が香港で客死したと聞いたとき、なんと惜しいことかと思いました。
編集者の注文どおりに書いて書いて書きまくって、出来たお金で資料を買いあさって、さあこれから自伝的大長編を書き上げるぞという時期の不慮の死でしたから。作品は「積乱雲」の題ですでに数十枚書き進められつつありました。
私の頭にすぐに浮かんだのは、サマセット・モ−ムの短編小説でした。題名は今どうしても思い出せません。(手元に一切資料をおかずに書いているとこんな時つらいです。)
モ−ムの小説の主人公はある日思い立って地位も名誉も捨てて孤島に移り住みます。そこでかねてから関心を持っていた学術的な研究を完成させてその論文を書き上げ世に問うためです。何年もかけて資料をそろえ何度も読み込んで思考を重ね構想を練ったうえでさあこれから執筆に取り掛かるぞというときに、主人公は急死してしまうのです。後世に何を残すでなく逝ってしまった彼のこれまでの努力はいったいなんだったのか、というモ−ムらしい作品でした。
まるで梶山さんの死と重なり合う内容です。
梶山さんは終戦になる前に広島に移り住んでいて、そこで被爆もされているので、それも絡めた内容になるはずだったと思われて、ぜひ完成した作品を読んでみたかった。今でも残念です。
彼には「全集」と銘打ったものは確かなかったはずですが、桃源社から傑作集成というのが20冊前後のシリ−ズで出版されています。テ−マごとにおもに短編を集めて収録したもので、これまでのところこれが一番良質の作品集だと思います。私も彼の死後、古本屋さんでこの桃源社の本を買い集めて、梶山季之という作家をより深く知りました。ただ残念ながらこのシリ−ズは新刊本ではもう売っていません。私の蔵書は見つかれば「古本屋グラッパ」の店に置いてもいいんですが、今のところ書庫のどのへんに置いてあるか見つけられません。
新刊書店で手に入る彼の本のうちイチオシは「せどり男爵数奇譚」(ちくま文庫)です。推理小説ですが、いかにも取材して書く彼らしく古書の世界の内情が現実味を持って描かれています。

せどり男爵数奇譚 (ちくま文庫)

せどり男爵数奇譚 (ちくま文庫)