南條範夫さん享年96歳、山代巴さん享年92歳

作家の南條範夫さんがなくなられた。10月30日のことらしいので10日ほど遅れの情報ですが、96歳だったそうで、まずは大往生といえそうです。
書かれた作品は歴史小説、時代小説が多く、その分野での秀作も幾多ありますが、私の読んだものは推理小説や変則形の歴史小説が案外多くてそちらのイメ−ジが強く残っています。変則形というのは、例えば「三百年のベ−ル」――明治時代の官吏がある日手にした書物(実在するものです)から徳川家康の出生の秘密に迫るというもの――とか、「わが恋せし淀君」――現代人がタイムマシンで戦国末期へ飛び淀君と会う話――のような作品のことです。「幕府パリで戦う」なんて作品も、変則ではないけれど、視点が面白くて好きですね。(幕末、薩摩藩徳川幕府がパリの万国博覧会にそれぞれ別のコマで出品しあうということがあって、それを描いています。)
推理小説のほうは、スト−リ−はほとんど忘れていますが、「エ-ゲ海に死す」「情事の連環」などの題名が思い出されます。
南條さんは二十年程前から年に一作か二作、歴史小説の書下ろしを出版されていました。どれも原稿用紙四、五百枚程度のものでしたが、この書下ろしは扱う題材も多岐にわたっていて面白かった。
ということはつまり、亡くなる直前まで作家としてのボルテ−ジは落ちてなかったということです。96歳ですよ。立派なものです。
南條範夫」というのはペンネ−ムで本名は古賀英正。私と同姓でした。
話が飛ぶのですが、「古賀」という姓の人は、九州の北部にはずいぶんたくさんいます。しかし、我が郷里の徳島には数えるほどしかいないんです。我が家は二代前まで百姓の家系で、県外から移り住んだ気配はない。明治に入って庶民が苗字を持つことを許された時、どうして「古賀」などという(徳島では)風変わりな苗字を選んだのか、もしタイムマシンがあるなら、ご先祖様に聞いてみたい。
南條範夫さんはまた、私の通った大学でずいぶん長いあいだ経済学の教授として「金融論」の講義をしておられた。私の学生時代(30年から前です)もやっておられて、わたしは受講しませんでしたが、受けていた友人の話では「真面目すぎてまるで面白くない」とのことでした。すでに作家として名をなしていましたが、友人のその話を聴いて、なるほど多分そうだろうなと思いました。生活態度が生真面目一方で毎日の行動が判で押したような人だったようですから。明治人の気質を引っ張っていたんだと思います。
南條範夫さんの訃報を記した同じ紙面に、やはり作家の山代巴さんの訃報も載っていました。
が、こちらは正直、山本薩夫監督の「荷車の歌」の原作者というぐらいのことしか知らないので特に感慨はありませんでした。
いずれにせよ、お二人のご冥福をお祈りいたします。