新幹線を止めた受験生

 二日前から昨日の朝にかけてのテレビで、電車を乗り間違った大学受験生の話を数回、目にしました。
 郡山市で行なわれる受験に向かうべく福島市から上り新幹線に乗った受験生が、自分の乗った新幹線が大宮駅までノンストップで目的の郡山には停車しないことに気づいた。相談を受けた車掌が、すでに郡山駅は過ぎていたものの、ダイヤの安全を確認の上本来は止まらない次の宇都宮駅で新幹線を停車させ、受験生を降ろしたというもの。おかげで受験生は何とか受験に間に合ったらしい。
 何年か前にも同じような話を耳にした記憶がありますが、こういった話はその話を聞く位置によって賛否大きく意見の分かれるところだと思います。
 車掌さんの取った行動を(むろん車掌さん一人の判断ではなかったでしょうが)、血の通った行動と見て心温まる話ととらえる人もいるでしょう。
 ことは受験生自身の時刻表の確認ミスから発しているのに、そんなことで新幹線を本来止まらない駅に止めるというのは行き過ぎだと思う人もいるでしょう。
 あるいは、この受験生にとって、これからの人生、きびしいこともいっぱい待ち受けているはずで、今回のことはそのきびしさを知るいい機会だったのにJR東日本がその芽を一つ摘み取った。親切と思い込んだ甘やかしだという人もいるかもしれない。
 しかし今回この話をテレビで見ていて私が思ったことは、この話の是非ではなくて、この話を何度も報道するマスコミの姿勢がおかしくないかということでした。
 見ていた番組が純然たるニュ-ス番組ではなくワイドショー的な番組だったので、「当たり前だよ。その手の番組を深刻に受け止めるほうがどうかしてるよ」といわれればそれまでの話です。(夜7時台や10時台、11時台のニュ−ス番組でこの話が取り上げられたかどうかは残念ながら知りません。読売新聞には社会面に横組みの囲み記事として載っていました。) 
 50歳まで生きてくると、大学受験なんて一度失敗したぐらいで人生どうというほどのことはないと思えてきますが(思えない人もいるでしょうが)、18歳の受験生には必死の関門に思えて不思議はありません。ひっくり返せば、これまで同じような状況に追い込まれ、自分のミスなのに列車を止めてくれとは言えなくて受験を断念した人たちがこの話を聞いたら歯ぎしりして悔しがると思う。受験に限らず、列車に乗り間違って大事な商談をまとめられなかった人、同じく一緒になろうと思っていた恋人と別れてしまった人、いろいろいることでしょう。彼らだって今回の話にいい感情は持たないと思います。
 いずれにせよ、どれも本人にとっては重大な出来事でしょうが、社会全体から見ると、さして重要と思える出来事ではありません。いくつものテレビ局が競って取り上げるほどのものとは思えない。
 それを、まるで集中砲火のように複数のテレビ局が報道すると、思わぬ形で「そうか新幹線でも熱心に頼めば止めてもらえることがあるのか。今度俺もやってみよう」と考えるバカがでてくるものです。また、ひょっとすると新幹線を止めたことに批判的な人の中には止めた受験生の住所氏名を突き止めて抗議の手紙を出すバカがいるかもしれない。(こういう輩に限って匿名でしか手紙を書けないときてる。)
 多分JR東日本としては、模倣する者が出ないように、このことはあまり報道して欲しくなかったのではないでしょうか。ただ隠し切れないなら、どこか一社に抜け駆け的に「スク−プ!スク−プ!」と大声で叫ばれるよりも、あらゆる報道機関に小さな声で伝えておくほうがいいと判断したように思います。
 昔から「犬が人に噛み付いてもニュ−スにはならない。人が犬に噛み付いたらニュ−スになる」といいます。珍しい話なら報道の話題に乗せたいという気持ちはわかるのですが、自分たちの報道が社会や人にどういう影響を与えるかをよく考えた上での報道の姿勢をとってもらいたいと思います。