杉浦日向子さん死去

 今朝一番の驚き。
 杉浦日向子さんが亡くなったこと。
 病気だったことも知りませんでした。
 下咽頭ガン、46歳。若すぎます。美人とは思わなかったけれど(若い頃の写真には超美人に写っているものも多々ありましたが)、すごくかわいらしい女性としてみてました。
 彼女はほんの一時期、荒俣宏さんと結婚されてたはずです。
 荒俣さんは、ずいぶん長い期間、平凡社の資料室にこもって博物学関連の調べ事をしていたことがあるような「超オタク」です。
 今でこそゴールデンタイムにテレビのコメンテーターとして出演したりして、ちょっとメジャーですが、十数年前まで、少なくとも「帝都物語」原作者として名を売るまではほとんど無名で、知っている人にも「変人奇人」の人種と認識されていました。
 杉浦さんとそんな彼との仲を取り持つ人がいたんでしょう。
 さばさばした男性的性格(私の想像)の杉浦日向子さんと、一つことに没頭するとわれを忘れる(私の想像)荒俣宏さん。性格は双方ともにすごくいいと思うのだけど(私の想像)、なかなかうまくいかないのが男女の縁というものです。
 長続きはせずに、二人とも相手のことを慮ってか、おたがいの履歴でもそのことには触れられていないようです。(おたがい著名になる前のことですし。)
 漫画家を廃業した段階で、彼女は自身の立場を「隠居」と言っていましたが、江戸時代の伊能忠敬と同じで、「隠居」してからのほうが輝いていたように思います。
 それにしても早すぎますな、46歳は。


 以上の文は早朝に書いたものです。出勤時間が迫っていたのでささっと書いたんですが、書いてブログにアップしたあとで、荒俣さんとの結婚の事は書かないほうがよかったのかなと少し後悔しました。
 荒俣宏さんは現在すでに新しい家庭を築かれているし、二人が別れて後、二人の結婚に関する記事や談話はいっさい見たことが無く、秘密事項だったのかなと思ったもので。
 しかし読売新聞の杉浦日向子さんの訃報記事には、二人の結婚のことがちゃんと書かれていたので、ホッとしたというのが正直なところです。
 大体この二人の結婚自身、当時(1988年)の「週刊朝日」の編集後記か何かの小さな記事で知って「へえ」と思ったものでした。
 当時杉浦日向子さんは江戸時代を舞台にした漫画をいくつも発表していましたが、まだ30歳前で「若いのに変わった女の子」といった感じでした。
(ここ10年ほどは、少なくとも私は、テレビで和服姿の杉浦日向子さんしか見かけませんでしたが、あの頃は洋服姿の写真もよくあったはずです。)
 荒俣宏さんはちょうど「帝都物語」が映画化された前後の頃で、やっと一般的な知名度が上がってきつつあった時期だったと思う。
 なんでこの二人の結婚の記事が「週刊朝日」の編集後記にかというと、当時「週刊朝日」のカラーグラビアページに「路上観察学会」の創設者の一人、藤森照信さんが「建築探偵」シリーズというのを連載していて、ともに「路上観察学会」に縁のあった荒俣宏さんと杉浦日向子さんの入籍の祝賀会に藤森さんが出席したといった内容の記事が編集後記に載ったわけです。
 藤森さんと荒俣さんはほぼ同年代で、ひょっとしたら、藤森さんが荒俣さんに杉浦さんを紹介したのだったか、その辺の詳しい記事の内容は忘れました。
 とにかく入籍当時から大きく騒がれること無く、知らないうちに別れていたという、ひっそりとした結婚生活でした。


 時代考証の面での彼女の師は稲垣史生さんでした。
 たしか彼女の方から「私を弟子にしてください」と押しかけていったのではなかったかしら。
 その稲垣史生さんが弟子の杉浦日向子さんのことを書いた文を昔読んだことがあります。
 彼女が「日本漫画家協会賞」を貰った時だったか、とにかく少しまとまったお金が入ってきたときがあったんだそうです。まだ二十歳代のことで、世間一般には遊びたい盛りのころなのに、彼女はそのお金をつぎ込んで吉川弘文館から出ている全100巻にもなる「日本随筆大成」を買ったらしい。
 あの辛口の稲垣史生さんが「若いのに見上げた娘だ」と褒めているところを見ると、若いときから「江戸研究」に対して腹の座ったところがあったんでしょう。