三田村鳶魚

 このところ、このブログが開店休業のような状態になっていて、読んでくれている方には申し訳なく思ってます。
 今しばらくはこんな状態が続きそうなんですが、きょうは久しぶりに少し時間の余裕が出来たので、なるたけ短めに文を書きます。
 これまで古本屋グラッパが1日で一番古本の冊数を多く発送した記録は37冊です。
 と書くと格好いいのですが、実態は全巻揃えて店に並べてあった中公文庫の「鳶魚江戸文庫」シリーズをひとまとめに買われたお客様がいたというだけで、発送個数はゆうパック1個だけでした。


 中公文庫の「鳶魚江戸文庫」は、当初12冊ものとして刊行が始まり、途中から「好評に付き」12冊追加され、その後再び12冊の追加があって全36冊になり、別巻2冊を加えて38冊のシリーズとなりました。(わが店はすべてバラ売りで並べてあったため、先に1冊だけ買われたお客様がおられて、まとめ買いされた方はその1冊だけが欠けていた事になります。)


 三田村鳶魚翁は、言うまでもなく「江戸学」の大家です。
 江戸ブームが起きてすでに久しいですが、本格的に江戸時代のことを学ぼうと思う人には彼の著作は欠かすことのできないものです。
 でありながら江戸の文化史・風俗史を専攻する先生たちの論文には三田村鳶魚の名はあまり出てこない。
 その最大の理由は、鳶魚翁の著作には書かれている内容の根拠となる出典が明記されていないことが多いからです。
 学問とはそういったもので、「ここに書いたことは一級史料の何々によっています」と明記しておかないと認めてもらえない。
 鳶魚翁自身は「それは何に書いてあったのですか」と聞かれたら、即座に「ああ、それは何々という書物に書いてあるよ」と答えたでしょう。しかし今の人で鳶魚翁ほど博学な人はいないから、鳶魚翁の著作をすべて追跡調査してその出典を調べ上げることのできる人がいないのです。(あるいは空襲で失われた史料も多いかもしれません。)
 もともと鳶魚翁は専門家相手に本を書いたのではなく、一般人向けに本を書いていたので出典が明記されていないのも仕方ないのですが(明記してあるものもあります)、今から思うと実にもったいない。

 
 彼が「孤高の江戸学家」になってしまっている所以です。また、文庫シリーズでは別巻として収められている「大衆文芸評判記」と「時代小説評判記」という小説家の時代考証のミスを批判した書も、あら捜しの好きな読者には好評でしたが、槍玉に挙げられた小説家からは疎まれる原因となりました。


 そんなわけで学術の世界ではこれからも冷遇され続けるでしょうが、せめて江戸時代好きの一般人は彼の著作、あるいは彼が選んだ江戸時代の書物を楽しむようにしようではありませんか。(現代人にはちょっと読みづらいかな?杉浦日向子さんぐらいくだけてないとだめかしら?)