私の千駄木②谷中銀座

 大学時代は外食が多かったんですが、一応は3合炊きの小型炊飯器を持っていましたので、たまには自炊もしていました。
 そんな時の食材の買出しは、千駄木時代はもっぱら歩いて3、4分の谷中銀座商店街を利用してました。
 千駄木を離れてすでに30年近くなるので記憶の薄らいでいる部分も相当あり、少しでも当時のことを思い出す手助けになるかと、この10日間、千駄木近辺に関するインタ−ネットのサイトを覗きまくっていたんですが、「そうそう、そうだった」と記憶のよみがえることもある反面、「ええ?30年前の自分の知っているあそこはそんなじゃなかったと思うんだけど、記憶違いかな?」と逆に混乱してしまうことも多々ありました。
 例えばこの谷中商店街を日暮里駅方向に歩いて突き当たりにそこそこ段数のある階段があります。いくつものネットのサイトで「ゆうやけ段々」という名前で出てきて、そのそばには名前を記した碑もあるという。そんな名前があったことも今回はじめて知りましたし「そんな碑、あの階段の側にあったっけ?」と、いくら思い出そうとしても碑のあった記憶に辿り行かない。結局は「私が千駄木を離れてから碑が立てられたんだろう」という結論に落ち着いて、その日はサイト巡りを終わらせたんですが、翌日やはり谷中銀座近辺の別のサイトを見ていてその理由がわかりました。
 そのサイトによると、階段を「ゆうやけ段々」と命名したのは、どうも地域紙「谷中・根津・千駄木」の編集人の一人森まゆみさんらしい。
 地域紙「谷中・根津・千駄木」(略して「谷根千」)が発刊されたのが20年余り前。商店街の人たちが森さんに「いい名前を付けてくださいよ」と頼んだとすると、それ以前とは考えにくいので、やはり想像通り私の時代には階段は「名前はまだない」状態だったと知れた次第です。
 この谷中銀座商店街、道幅もさして広くなく小ぢんまりとした商店街で、全国に数多くある「銀座」と名のついた商店街の中でも小さい方ではなかろうかと思うのですが、サイトに掲載されている写真を見ると、多くの店が木製の看板を掲げたりして洒落た雰囲気を出そうと頑張っているみたい。私の時代はごく普通の商店街でしたが。(はなしがそれますが当時から「銀座」を名乗っていたかどうかも思い出せずにいます。)
 ひとつにはこの商店街がテレビドラマの舞台に使われて、小さいながらも名が全国に知れ渡ったせいだろうと思います。
 で、日記に「谷中商店街」の事を書く前に調べておこうと思いながら、どうしてもサイトで見つけられなかったのがそのドラマのことです。
 松島菜々子主演のドラマのことはサイトの中にあったのですが、じつは私、そのドラマは見たことがありません。
 それとは別で、いまからたぶん15年ぐらい前に谷中商店街を舞台にしたホ−ムドラマがあったはずなんです。「時間ですよ」や「寺内貫太郎一家」の延長線上のホ−ムドラマだったような記憶があるのだけれど、間違いないかと問われると自信はありません。間違いないのはテレビでそのホ−ムドラマをはじめて見たとき、「あれ、あの谷中商店街が舞台になってる」とじつに懐かしかったことです。
 誰かこのホ−ムドラマのことを覚えている人がいたら教えていただきたし。
 千駄木は文京区なんですが、この谷中商店街はその名のとおり基本的には台東区谷中にあります。ところが台東区とその北隣の荒川区の境界線がこの商店街の東半分で真ん中の道の上を通っており、この商店街のメンバ−の何割かは台東区民ではなく荒川区民なんです。
 行政区分上では別の行政組織に属する人たちが、同じ商業共同体の一員としてやっていくというのは、傍で見ていて、いろいろ厄介なこともあるのじゃないかしらとかってに想像してしまうのですが、逆にそういう違いを乗り越えて結びついている商店街だけにしたたかでしなやかなところがあるのかもしれません。