懺悔

 読売新聞の日曜版に「駅」という連載があって、毎週日本や世界の鉄道の駅が紹介されています。1月16日の特集は東京の国立駅でした。これを見て、四半世紀前に私がやらかした出来事を思い出しました。
 当時、私は東京で卸業の営業の仕事をしていました。作業着姿でトラックに品物を積んで得意先を回り納品をしながら注文を取って来るというものです。
 任されていたエリアは三多摩地区、つまり東京西郊ですね、それと茨城県の水戸、勝田辺までの水戸街道沿いの得意先でした。会社があったのは足立区青井という環状七号線沿いの、あと1キロほども北へ行けば埼玉県八潮市、2〜3キロも東へ行けば千葉県松戸市に入るという東京都の北東のはずれでした。
 水戸街道沿いには大きな得意先がなかったため、水戸方面は1週間に1度ほどしか行きませんでしたが、府中、八王子には大きなお得意があったのでほぼ毎日のようにトラックを運転して出向いていました。
 (茨城の得意先の可愛い事務の女の子が「だっぺ」と言うのをはじめて聞いた時、関西人としてカルチャ−ショックを受けたことを今思い出しました。)
 会社から三多摩の得意先までの当時の標準のル−トは、日光街道を南下して入谷から首都高速にのり、首都高新宿線からそのまま中央高速道路に入って府中インタ−あるいは八王子インタ−まで行くというものでした。
 首都高の渋滞は当時も今と変わりなくうんざりするものでしたが、中央高速に入るころからすき始めるのが恒でした。
 当時、庄野真代の「中央フリ−ウェイ」という歌が流行っていた頃で、東京競馬場とサントリ-のビ−ル工場の間を走り抜けるあたりではこの歌をよく口ずさんでいました。この曲を作詞作曲した松任谷由実さん(当時は荒井由実時代だったと思うけど)の実家はたしか八王子の商家だったはずで、都心のスタジオあたりから八王子に帰るときのイメ−ジを曲にしたんでしょうね。
 これからが国立に絡む話です。
 その日いつものように1トン半のトラックで三多摩地区の得意先を回り、立川で仕事を終えました。立川駅から1キロほど北にある店で、そこから会社に帰るには、店の前の道を南下してJR立川駅東側の立体交差をくぐり、日野橋交差点で甲州街道を東に折れて府中インタ−から中央高速に上がる__これがごく普通のコ−スでした。
 しかしその日はすでに日も暮れかけて薄暗くなってきていたし、当時の私はこの辺一帯を毎日のように走り回って多少は道に詳しかったので、迷わず抜け道を走って府中インターに向かうことにしました。
 店から東南方向に進んで行くと多少道は狭くていくつかの曲がり角はあるものの、中央線国立駅の200メ−トルほど西側にある踏み切りに出られるのです。
 その踏切を南に越えて国立駅前に出ると、そこから真南に南武線谷保駅まで一直線に1キロ半ほど続く有名なイチョウ並木があり、谷保駅を南に超えると中央高速府中インタ−はすぐそこなのです。
 この抜け道を通る事でいつものように5分ないしは10分の時間の短縮が出来るはずでした。
 ところが国立駅西側の踏み切りで引っかかってしまいました。
 ただでさえ狭い踏み切りです。加えてこの道は、線路に対して直線で直角に交わっているのではなく、踏み切りの直前まで線路に並行してついている道が踏み切りのところでL型に曲がって線路を横切るようになっていて、対向車があるときはちょっと渡りづらい踏み切りなのです。道路の車のほうもラッシュ時刻で多かった上に、線路のほうも通勤時間帯で電車の便数が増えていて、遮断機の開いている時間が短くなっており、車4、5台が踏切を越えると遮断機が降りるような状態でした。
 抜け道を選んだことを後悔しました。そこへきて私の前の車が運転が下手で遮断機が上がったというのになかなか踏み切り内に入っていけずにモタモタしていました。
 「今まで待ってやっと踏み切りを越えられるところまできたというのに、何をやっているんだ、前の野郎め。速く行ってくれなきゃまた遮断機が下りるじゃないか。」
 と、イライラしているとろくなことはないものです。
 やっと前の車が踏み切りの出口にさしかかったものだから遮断機が降りないうちにと私は慌てて自分の車を踏み切り内へ進めました。と同時に踏み切りの警報機がなり始めました。これはいかん、速く踏み切りを越えてしまわなければ__と思ったとたん前の車が自分が踏切から出切ったところで止まってしまったのです。よく見ると、そのまた前の車が渋滞で進めずに止まってしまっているため私の前の車も止まらざるを得ない状態だったのです。
 警報機は鳴っています。今度は後ろを見ると、後続の車がすでに踏み切りの入り口にまで進んできていてバックも出来る状態でなくなっている。
 ワッ、ワッ、ワッ、どうしよう、どうしよう、と頭が混乱してる間に遮断機が降り始めて、アッという間に私の車は線路の真ん中で遮断機に挟まれて立ち往生してしまいました。
 ただ、さいわいだったのは、栓をするかたちだった前の車が時間をおかず動き始めてくれたことでした。前の車がそこそこ進んだところで、私は思い切りアクセルを踏み込みました。バキッという鈍い音がして目の前のフロントガラスを上に向かって遮断機の竹の棒が跳ね上がりました。
 踏切を渡り終えた段階で後ろを見ると、遮断機の棒が真ん中辺からぶらぶらと折れて垂れ下がっていました。私のトラックは運転席側のサイドミラ−がたおれていましたが、窓から手を出し、合わせ直して、後は一目散に逃げました。
 それ以降、国立駅に行くことがあっても、あの踏切に近づくことはありませんでした。
 JRさん。あの時国立駅西200メ−トルの踏み切りの遮断機の竹の棒を折ったのは私です。 ゴメンナサイ。