今年の回顧③

 今年もいよいよあと24時間を切ってしまいました。
 12月はこの回も入れてわずか5回しか文章を書けなかったけれど、やっと普段の状態に戻ってきたので、来年からはまたひと月10回以上は文章を書けると思います。
 とりあえず店のほうの本棚に本を増やさないと、12月はたった15冊ぐらいしかアップできなかったので、我ながら開店休業のような感じがしていけません。


 それにしても今年は自然災害の実に多い年でした。台風銀座に暮らす人間としては、年に二度や三度の大型台風の襲来には慣れっこになっているつもりですが、今年の上陸台風の数の多さにはいいかげんうんざりしました。徳島はさいわい地震での被害はなかったものの、中越地震といい、先日のスマトラ沖地震といい、思っていなかった場所での地震には驚きました。特にスマトラ沖の地震では、津波という形で遥か離れたインドやスリランカにあれだけの大きな被害を及ぼすとは思ってもいませんでした。
 そしてその津波で命を落とした日本人の数が二桁にのぼっているとのニュ-スにも驚いています。こんにち、地球のどこでどんな事件や事故があっても日本人に被害が及ぶ可能性が高くある、そんな時代になっているんですね。


 アメリカの対イラク戦争はだんだんベトナム戦争のように泥沼化しつつあるように見えて、どうも来年もすっきり落ち着くことはなさそうに思います。これが落ち着かない限りアメリカは北朝鮮に対して強腰で脅すようなことはしないようだし、そうなると北朝鮮による日本人拉致問題の解決は近づいてこず、いたずらに時間が長引くと日本人の対北朝鮮感情がどんどん悪化しそうです。
 議論が経済制裁あたりで止まっているうちはまだましですが、北朝鮮と対等に戦える戦力を持とうなんていいだすと「いつかきた道」をゆくことになりかねません。
 日本人は基本的には慎重な国民だと思っていますが、一つ流れが出来るとワーッと皆その流れに乗っかっちゃって行き着くところまで行っちゃうところのある国民なので、よく考えて行動する必要があります。


 同じコリア関連の話でも、今年の日本での「韓流」ブ-ムは、これまで日本と韓国の間にあった深い溝を少し埋めてくれたように思います。
 長いあいだ韓国は日本に対して異常と思えるほどの関心を抱き続けてきました。韓国にとって日本は最大のライバルでありお手本でした。ひるがえって日本は韓国に対し一部の企業人はともかく一般大衆レベルでは異常なまでに無関心できました。
 韓国人にとって日本人の韓国への無関心は、つまりは自分たちを見下しているからだと考えた人も多いと思います。(実際ある時期まで韓国人を見下した感情を多くの日本人が持っていたと思う。)
 日本人にとって韓国人の日本への異常すぎる関心は、時に「内政干渉じゃないか」「親しき仲にも礼儀ありということを知らないのか」と相手を敬遠してしまう要素になりました。
 この辺それぞれの国の国民性も絡み、加えて相手を見下すという点でいえば実のところ今から100年程前まで韓国のほうが(当時は李氏朝鮮王朝)日本を「礼儀を知らない低レベルな国」と見下していたというねじれた経緯があり、豊臣秀吉の朝鮮侵攻、「日帝36年の支配」への恨みもあってその溝はそうとう深いものがありました。
 それが今年の「韓流」ブ-ムで日本の女性たちが韓国の俳優に興味を持ったことで、日本の韓国に対する無関心は一挙になくなり、韓国人は「俺たちの国の俳優に日本人がキャーキャー言ってる」ということで日本に対して自信を取り戻す一助となって、二つの国の間の溝が少し浅くなりました。もちろんそれだけで問題が全面解決するほどことは簡単ではないものの、恐るべきは女のパワーであることを見せつけられた事象でした。

 
 これくらいで今年2004年の分の日記は終わります。
 
 ここ数回本の紹介をしていないので、一冊だけ書いておきます。
 さだまさしさんの小説「眉山」(びざんと読みます)です。徳島を舞台にしています。眉山徳島市を見下ろすようにある標高277メ-トルの穏やかな山です。なぜさださんがこの新しい小説の舞台に徳島を選んだのかは知りませんが、その作風は前作「解夏」を思い出してもらうといいです。さださんらしい繊細さが感じられる佳作です。

眉山

眉山