思いつくまま

インタ-ネットの「Sankei Web」を見てたら、見出しに「仏映画監督のP・ドブロカ氏 死去 71歳」とありました。
私の知らない監督だなと思って本文を読んでみると、P・ドブロカとはフィリップ・ド・ブロカのことでした。フィリップ・ド・ブロカなら、フランスで主にコメディを撮っていた監督で、私の十代から二十代のころ、彼の作品はいくつも日本に入ってきてましたので何作か見ています。あまり好みではなかったんですが、「まぼろしの市街戦」だけは好きな作品です。第一次世界大戦のさなか、ドイツ軍が撤退時に爆弾を仕掛けたとの情報から住人がみんな避難して無人になっているはずの田舎町に、置いてけぼりを食らった精神病院の患者たちが住人のように振舞って住んでいる_という奇妙な設定の映画です。観ているうちに、町の住人然と振舞っている精神異常者が、敵味方に分かれて殺しあっている普通の人たちよりも普通の人に思えてくる。コメディなんだけど、「たかがコメディ」といえない、考えさせられる映画でした。


ア−サ−・ヘイリ−も亡くなってる。組織の中で働く人間を骨太のタッチで描き続けてきた作家で、いくつものベスト・セラ-小説を残しているけど、私の場合はやはり「大空港」ですね。映画を観てから本は読みました。映画「大空港」はたいへん面白かった。こういう「グランド・ホテル」形式の映画はシナリオがしっかりしていないと散漫な作品になってしまうのだけど、映画「大空港」は実に構成のしっかりしたすばらしい作品でした。最近は、何人もの登場人物が限られた空間の中でさまざまの人生模様を繰り広げる「グランド・ホテル」形式の映画が減っていてチョッと寂しい。制作費の問題とか、脚本家の力量低下の問題とかいろいろあるんだろうなあ。


先日、林義雄さんのことを書いたとき、沢木耕太郎さんが彼の深夜放送に出演した時期を「1973〜4年頃」と書いたのですが、「深夜特急」を見てみると、沢木さんは1975年に日本に帰ってきているので、1975年が正解だろうと思います。


もうひとつ、司馬さんの海外紀行の本の事を書いたとき、ハンガリ−とフィンランドを「ヨ-ロッパでただ二つの騎馬民族の末裔の国」と書いたのですが、後で調べてみると、バルト三国のうちのエストニアもどうもそうらしい。
ヨ−ロッパでは、いくつもの国がいくつもの言語を使っていますが、そのほとんどが「インド・ヨ-ロッパ語」という大きな範疇に属する言語で、つまりは文法が基本のところでよく似ているのです。
ところが、ハンガリ-語(マジャ−ル語ともいいます)とフィンランド語(スオミ語ともいいます)とエストニア語は文法的に「ウラル・アルタイ語」という、日本語や韓国語やモンゴル語と親戚関係の言語なのです。
そういうことになった原因は4〜6世紀の民族大移動にあるとされ、ハンガリ−、フィンランドの2国は東方からやって来たウラル・アルタイ語を使う騎馬民族が住み着いたのだといわれます。ハンガリ−、フィンランドという国名も、ともにそのまわりの人たちが呼んでいた「フン(アッチラ大王で有名なフン族)の国」を意味する「フン・ガリ−」、「フン・ランド」が訛って出来たといいます。
肌の色とか目の色といった外見的なものは、1500年がかりで周りの人たちと完全に同化してしまい、全く区別することが出来ませんが、使っている言葉にその名残があるというわけです。
エストニアという国は長いあいだロシアに併合されていて、私の若いときも国として存在していなかったため、勉強不足でよく知りませんが、使われている言葉がそうであれば、やはり騎馬民族の末裔ではないんだろうかな。


以上、思いつくままに。

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