韓国のドラマ界③

アジアの色々な国での韓国ドラマのヒットには、韓国の人たち自身が一番驚いているのではないでしょうか。
それはやはり韓国のドラマ作りが、映画もテレビも含めて青年期にあって、見ている側にも作り手の熱気が伝わるからだろうと思います。
しかし、こんな状態はいつまでもは続かない。日本のこのあきれるようなフィ−バ−ぶりも、この一年が山でしょう。
日本においては、韓国ドラマは、このブ−ムで認知済みなので、ブ−ムの後もそれなりに注目され続けるでしょう。何しろ、これだけテレビのチャンネルが増えると、放送時間を埋める作品はひとつでも多くほしいというのが日本側の本音でしょうから。でも今のような狂乱状態は、間違いなく、なくなります。
そしてその次には、映画が、少なくとも興行的には採算がとりづらい時代が必ず来ます。熟年期から老年期に差し掛かるわけです。韓国の場合それがいつ頃かはわかりませんが、韓国の人たちの駆け足ぶりを見ていると、思いのほか早い時期にそうなる可能性もある。
そのときが韓国のドラマの作り手にとって正念場です。そんな時代になってしまったときに、「頑張っていい作品を作ってよ」と励まし、手を差し伸べてくれるのは、決して外国人ではなく、韓国の観客であり大衆です。そのためには韓国の大衆が、映像文化に対する認識を高めていてくれなければいけません。韓国映画に客が入りにくくなった時、「もう韓国映画の役目も終わったな。国内の映画作りは止めにすりゃいい。」なんて大衆から言われたら、ドラマの作り手もつらいと思う。
そうならないために韓国政府は、目先の映画産業保護だけを考えた輸入規制を出来るだけ早くなくして、逆に四十年の軍政時代の遅れを取り戻すべく、その期間に作られた世界の名作映画をどしどし公開するようにしてほしい。
そうすることが韓国の国民の教養を高めることになるのだから。
最後に言い訳を――-
この文を書きながら、「韓国のテレビドラマ」と「韓国映画」がごっちゃになっていることは早くから自身でわかっていたのですが、こんなかたちで誤魔化さざるをえませんでした。
書き出してすぐ、韓国のテレビドラマについてあまりにも知識がなさ過ぎることに気がつきました。逆に韓国映画は、佐藤忠男さんや高野悦子さんの影響で、ブ−ムが起こる前からぼちぼちは見てましたし、映画好きの人間として、お隣の国の映画について考えたりしたこともあったので、私なりの捕らえ方はあるつもりなんです。
例えば韓国映画の今の隆盛の基を築いたのは1980年代の李長鎬(イジャンホ)監督と蠔昶浩(ペチャンホ)監督であること。この二人の80年代のニュ−ウェ−ブ作品が、映画作りを目指す韓国の若者に多大の影響を与えていること。ニュ−ウェ−ブの監督の精力的な活躍が林権澤(イムグォンテク)をはじめとするベテラン監督を刺激した形となったのか、80年代は従来の史劇などでも秀作が多く作られて韓国映画勃興の時代となったこと。そして90年代に入ると現在のラブ・ロマンス映画の原型を作ることとなる新世代(シンセデ)の映画会社「申(シン)シネ」が活動を開始する。まあ、ざっと現代韓国映画の流れはこうなります。
最初から「韓国映画について」とすれば書きやすかったのに、前日に「韓国のテレビドラマについて書きます」なんて予告して、「秋の童話」の話から入ったものだから、さあ困った。ちょっとは書くこともある映画の話を書いて、それを無理やりテレビドラマにつなぎ合わせて何とか文章を仕上げたものの、読み返せば読み返すほど、迷走している文章だなあといやになってくる。
これからは「予告」はしないようにして、書きやすいテ−マを選ぶようにしようと反省しております。