韓国のドラマ界①

今日は、韓国のテレビドラマを見ていて考えたことを書きます。
といっても、最近ブ-ムの韓国ドラマを品定めしようというのではありません。それだけの知識を私は持っていません。
先日、「秋の童話」(2000年制作)というドラマをテレビで見ていました。このドラマは「冬のソナタ」(2002年制作)を作ったユン・ソクホ監督が「冬のソナタ」の前に撮った作品で、それまでのスタジオ・セット中心のドラマ作りに対し、野外ロケを多用して美しい風景をドラマに取り入れ、平均視聴率30%以上のヒットとなったドラマだそうです。
ロケして撮られたシ-ンは抒情的で確かに美しい。この春だったか夏だったかに、日本に来たユン・ソクホ監督が北海道・富良野に住む倉本總さんを訪ねているニュースを見ましたが、ユン監督が「北の国から」のような映像作りをめざしていると知れば「なるほど」と合点が行きます。
そのドラマの中で、随所に「禁じられた遊び」のギタ-のメロディ-が使われているのです。
そこで私、ひとつの疑問がわきました。ルネ・クレマン監督の映画「禁じられた遊び」(1952年制作)といえば、日本では、作られた翌年公開され1953年度のキネマ旬報ベスト・テンでも第一位になって名作としての評価が定まっているのですが、韓国ではこの映画は一般公開されたのだろうか。私はこの曲を耳にすると、それだけで可憐でしかし哀れな物語を思い描いてしまうのだけど、韓国の人たちはどうなのか。
日本は1945年に終戦を迎えてから六十年をかけて今の地位を築いて来ました。
韓国は違います。
1945年にそれまで支配していた日本人が去り、さあこれから自分たちの手で国づくりが始められると思っていた矢先に朝鮮戦争がおこってしまいます。ソウルは戦場と化し国土は南北に分断され、それからも長いあいだ韓国国内は緊張した状態が続きました。
韓国国内で夜間外出禁止令が解かれたのは1982年。
韓国が「普通の国」になってからまだ二十年しかたってないのです。
日本人の私たちは、映画・テレビの世界に限ったことでなく、韓国を見、韓国のことを考えるときには常に、この国が私たちより四十年出遅れて出発していることを頭に入れて考える必要があると思う。(ただし経済面では朴大統領独裁時代から必死に富国強兵政策を推し進めてきたので十五年〜二十年程度の出遅れです)
しかし、この二十年を韓国は駆け足で走ってきました。すでに分野によっては日本を追い抜いているものも少なからずあります。
テレビドラマにしても、つい十年前まで日本のほうが質が高いと思っていたのに、アッという間に韓国でもこんな良質のメロドラマを作るようになっている。まだ何年間かは韓国のドラマ界は伸びてゆくでしょう。今のところはメロドラマがメインだけれど、まだ医学ものとか法廷ものとか韓国のドラマ界があまり手を出していない分野でいい作品を生み出す余地が残っていますから。
その後がどうなるか。遅れてスタ−トをきって駆け足でやってきただけに、他の国々の観客や製作者が時間をかけて積み重ねてきた土台の部分が、韓国の場合は脆弱ではないか。ことにテレビ聴視者(あるいは映画の観客)の側の育ち具合がこれからさきの韓国のテレビ界・映画界の発展の度合いを決めることになると思っています。
作曲したり絵を描いたり小説を書いたりするのと違って、テレビドラマを作ったり映画を作ったりするには莫大なお金がかかります。それだけに、ひとりでも多くの人に作品を見てもらう必要があります。作られた作品が聴視者や観客の理解できるレベルを大きく超えていたら、聴視者や観客からそっぽを向かれて、次回作が極めて作りづらくなるのはどの国でも一緒だと思います。だからどの国でも、多くの場合、制作する側は大衆のレベルに合わしたドラマ作りをする。(一部、自分の思いどおりの作品しか作らない監督もいますが。)
結局、ひとつの国のテレビドラマや映画のレベルは、その国の大衆のレベルにあったものになってしまう。
総じて、大衆というのは、どの国でも保守的で単純明快を好む傾向があるものですが、そんな中でも、国によって、前衛的、実験的なものに対する大衆の興味や関心の度合いは違うものです。その違いは、その国の大衆の成熟度によって生じると私は思っています。少しでもそういったものに理解を示してくれる観客の多い国のほうが、自分の思っているものにより近い作品をつくりやすいということになります。
つまりは、バラエティに富んだテレビドラマや映画を生み出せる国ほど大衆の成熟度が高いということです。
そういう目で韓国の観客、大衆を見たときどうか。
やっと、先に書いた「他の国々の観客や製作者が時間をかけて積み重ねてきた土台の部分」という言葉の説明に入ります。
が、まだ先が長いので、続きはまた明日。