映画「砂の器」

映画「砂の器」(野村芳太郎監督)が公開されたのが1974年の10月19日。
ちょうど30年前なんです。                       砂の器 [DVD]
私は30年前にリアルタイムでこの映画を見ました。
正直、原作のほうは、面白い小説とは思うけれど、清張さんにはもっと優れた作品がいくつもあるので、この作品はせいぜい中の上ぐらいのものと思っていました。(今でもそう思っています。)
だから脚本家の橋本忍さんがこの作品の映画化に執念を燃やしていたと聞いても、見る前はあまり期待もしていませんでした。
ところが映画は私の想像と全く違っていてすばらしいものに仕上がっていました。
父と子の絆を描いたドラマにすりかわっていたのです。原作にはそんな要素は微塵もありません。映画は原作の背骨だけを残して肉の部分は全て作り変えられており、見事に橋本忍山田洋次という脚本家二人の「砂の器」になっていました。
橋本忍さんと共同で脚本を書いた山田洋次さん(寅さんの監督です)の話によると、「これだけの長編を映画化するのは、ちょっと無理があるのでは」と思っていた山田さんに、橋本さんは「この作品の映画化のツボはここだろう」といって、小説のラスト近くに書かれている「この父と子がどのような旅をしたかは想像するしかない。」のくだりを指し示したという。山田さんも「なるほど、この部分に焦点を合わすと、いい作品が出来そうだ」と思ったといいます。
自分の過去を隠すために何人もの人間を殺す原作の冷血犯は、映画では冒頭の殺人以外には犯罪を犯さない悩める犯人に変更され、原作ではなぜ犯人の性格がこうも冷血なものになったのかを説明するだけのために少しだけ登場する父親が、映画では最後まで観客を驚かせる重要な役目を与えられて登場する。
原作では死んでいるはずの父親が、映画の中では生きていると聞かされたときは、映画の中の捜査本部員だけでなく、観ていた私も思わず「エッ」と声をあげました。これはまさしく、すでに原作を読んでいる者に対して橋本・山田組がしかけた「大どんでん返し」でした。
そして、瀬戸内海の小島の療養所(このシ-ンでは戦時中に作られた豊田四郎監督の「小島の春」という映画が思わず私の頭に浮かびました)を訪ねた刑事に対して父親の発したあの名ゼリフ。
父親役の加藤嘉さんは、のちの「ふるさと」(神山征二郎監督)では主演も務めモスクワ映画祭最優秀男優賞までとった人ですが、やはり老け役のバイプレイヤ-(脇役)としての演技のほうが印象に残っています。私個人としては、この「砂の器」と、「白い巨塔」(山本薩夫監督)白い巨塔 劇場版 [DVD]の、財前五郎の義父からの賄賂を叩き返す硬骨漢の教授役が幾多ある出演作の中でも特に好きです。またこの人は一時期、山田五十鈴さんのご主人でもありました。
30年前の公開当時から「中学生頃まで楽器に縁のなかった者があんな名演奏家になれるわけがない」とか「たかが数週間か数ヶ月間世話しただけの子供を、二十数年後にふと目にしただけの集合写真の中から見つけ出せるわけがない」といった指摘はよくされていました。私もその点はそのとおりだと思う。また「紙ふぶきの女」のエピソ−ドも、それだけ取り上げると絵にはなりますが、リアリティの点からは「そんなことわざわざするもんか」と思うし、捜査本部が設けられてからいったん解散するまでの時間の経過が少し短すぎるようにも思います。
話の展開の上でそんな無理があっても、それでもこの映画はすごいと思わせてしまうのが、ラスト40分ほどの、演奏会と捜査会議と父子の放浪の三つのエピソ−ドをたくみに織り上げたカットバックの見事さです。これは、すごい。
日本の映画職人の名人芸を見たと思いました。
二十歳前後の頃はいろんな映画を見まくっていたせいか、型にはまったありきたりのシチュエ-ションではあまり感動しなくなっています。
主人公が難病で死んでゆくシ-ンがあっても「死に別れで見るものの涙を誘おうなんて安易なつくりだ」とまず思ってしまうし、愛するものが列車で(あるいは車で)去ってゆく後を必死に走って追いかけるようなシ−ンは、これまで数限りなく見てきているので「またかよ」とまず思ってしまう。私はそんな人間です。
そんな私ですが、そのシ−ンに至るまでのお話がキッチリ丁寧に作られていて、何本もの話の糸がそのシ−ンに向かってピンと張られている見事な作品に接した時は、逆に他の人以上に感動してしまう。
この映画の、ラスト40分ほどがそれです。
これだけ見事なカットバックの技は、今すぐ頭に浮かぶのは「ウエスト・サイド物語」(ロバ−ト・ワイズ監督)の「トゥナイト」の場面ウエスト・サイド物語 [DVD]、「シシリアン」(アンリ・ベルヌイユ監督)asin:B00005GPWK、「ジャッカルの日」(フレッド・ジンネマン監督)ジャッカルの日 [DVD]のやはりラスト近くのド・ゴ−ル暗殺決行シ−ンぐらいです。
演奏会開始と同時に描かれ始める父子の放浪シ−ンは、私が四国徳島の人間だけに他人事に思えない。映画では日本海の厳冬の厳しさを描くために山陰の設定ですが、この父子のような遍路旅の本場は四国です。
この頃のお遍路さんのなかには、いわゆる「不治の病」におかされて西洋医学の医者に見離され、ふるさとの村にも居づらくなって追い出されるようなかたちで、病の治癒の願をかけながら四国八十八カ所巡りを続けている人たちが少なからずいました。
映画の中の二人と全く同じです。
遍路旅を経験した人の体験談の中には、四国の人たちの人情の厚さがよく描かれています。それも事実ですが反面、地元の人たちの中には、お遍路さんを「病を移すかもしれない怖いもの」と見ていた人が多くいたことも事実です。
戦後になってからでも、親から「おへんろさんには近寄られんじょ。なんのびょ−きもっとうかわからんけんな」といわれて育った人はずいぶんいます。
それだけに映画の中の二人が他人事に思えない。
それからあとは作り手側の「泣かせてやろう」という魂胆がみえみえなのに、ずるずると蟻地獄の穴に落ち込んでいったようなもので、とどめは父親のセリフでした。
製作者の泣かせのテクニックに乗ってしまうか乗らないかは、催眠術に掛かるか掛からないかと同じで、個人の資質の違いです。この映画を見て泣いた人もいれば、「フフン」と鼻で笑った人もいるでしょう。どちらが良い悪いの問題ではありません。
が、小倉の松本清張記念館の館報のアンケ−トでも、清張さんの映画化作品でいちばん好きなのは、二位を大きく引き離して「砂の器」が一位となっているところを見ると、作者のテクニックに見事に引っかかった人のほうが圧倒的に多いようです。
何年か後に野村監督は同じ清張さん原作の「鬼畜」asin:B00005G1Z6ます。「砂の器」のような大作ではなくこじんまりとした作品で、それだけにスト-リ-上の破綻も無くこちらのほうが映画としての完成度は高いかもしれない良い映画なんですが、悲しいかなラストの締めくくりで「砂の器」とまったく同じ手を使ってしまっている。これはまずいじゃないかと思いました。
逆にいえばそれだけ「砂の器」の、あのラストの父親の意外なセリフのシ−ンは、優れた泣かせのテクニックとして定着していたのでしょう。
今年初めにテレビドラマ化された「砂の器砂の器 DVD-BOXも、何のことはない、清張さんの小説「砂の器」を脚色したのではなくて、映画の「砂の器」をテレビ風・現代風に脚色したものでした。
後に「人間の証明asin:4041753600(著者森村誠一)が出版された時、読んだ私は「あれっ」と思いました。
ひとりの黒人青年が殺される。殺人捜査の手がかりは、被害者の残した「ストロ−・ハット」の一語のみ。殺人の動機がどうしても浮かんでこず捜査は困難をきわめる。実は殺人の動機ははるか過去にあり、現在功なり名遂げている犯人は、どうしても自分の過去を知られたくなくて、犯罪に至る。それを主人公の刑事が地を這うような地道な捜査で解明してゆく。どうです、「黒人青年」を「老人」に、「ストロ−・ハット」を「かめだ」に差しかえると、「砂の器」になりませんか。
この映画の影響はいろんなところに出てきているわけです。
長くなりついでにもうちょっと。
松本清張さんの小説は40作近く映画化されていますが、幸せなことに映画として出来のいいものが多いですね。(テレビドラマ化作品はもっとあるけど、こちらも秀作がたくさん生まれています。和田勉さんのNHKでの仕事などすべていい。)
砂の器」で脚本を担当した山田洋次監督は白黒映画ですけど1965年に「霧の旗」asin:B00005G29O滝沢修で撮っていて良い映画でした。これは後に山口百恵三國連太郎で再映画化霧の旗 [DVD]されているけど、山田洋次版の方が良かった。でも百恵ちゃんも好きだったので、すてがたいです。
砂の器」の野村芳太郎監督は、七本も八本も清張作品を映画化している。清張作品初の映画化は1957年の「張込み」だけど、この映画の監督も野村さんだった(脚本は橋本忍)。
野村監督の手になる清張映画はどれも平均点を超える出来だけど、あえて選ぶとすると
「張込み」(1957年)asin:B00005G1Z3
影の車」(1970年)asin:B00005G29P
砂の器」(1974年)asin:B00005V2QK
「鬼畜」 (1977年)asin:B00005G1Z6
でしょうか。
「張込み」の高峰秀子さん、良かったですね。ふだんまるで精彩のない生活を送っている彼女が犯罪者の恋人田村高廣と会っているときは別人のように輝いている。いいですね。
影の車」は「リング」などよりもはるかに良質のホラ−映画ですよ。
1983年の「天城越えasin:B00005G1Z8三村晴彦監督)では野村さんは制作のほうにまわっていましたが、田中裕子も役にはまってて、いい出来でした。
斎藤耕一監督の「内海の輪」asin:B00005G29Q(1971年)も挙げたい。いまより三十歳以上若い岩下志麻中尾彬の情交シ−ンはさすが「約束」の監督だけあってみずみずしくてエロチックでした。
エロチックといえば「けものみち」(1965年須川栄三監督)の池内淳子もエロチックでした。