出版がめっきり減った文学全集②

先回の終わりに少し寂しい気もすると書きました。現代人が飾りとして本を買わなくなってきていることがです。
 この寂しさをうまく言い表したくて、まる一日いろいろ思考をめぐらしたのですがなかなかいい言葉が見つからない。
 ただ次のように例えればいちばん近いかなと思います。
 こんにち、ベネチア、カンヌ、モスクワはじめいろいろな所で国際映画祭が行なわれている。日本国内でも東京、湯布院、夕張等々いくつも映画祭はある。その名の通り「お祭り」です。その「祭り」が次々と中止になっていってほとんど行なわれなくなってしまったときの映画ファンの寂しさ。
 大都会の大型店はともかく、中堅都市以下の本屋さんは、いまや雑誌類の販売が主となっており、売り場のスペースも雑誌がいちばん占領しています。その次が色々な実用書。あるいは単行本マンガ。その次ぐらいに文庫本がきて、新刊単行本なり学習参考書なりがこれに続く、こんなところが標準でしょう。
 新刊単行本を置けるスペ−スは最初から限られていて、そこへ毎月多くの単行本が出るものだから、一冊の単行本が棚にある日数が短い。あるいはもとより取次店から回ってこない本もある。
 サイズが小さくてほぼ統一されているため狭いスペ-スにたくさん置ける、値段も手ごろで売りやすい、単行本に比べれば長く置いてもらえる__文庫本や新書本がどんどん勢力を伸ばしてきたのはそんな長所からだけど、それが単行本の首をよけいに絞めてくる。「文庫が出るまで待とう」と誰でも考えたことがあるでしょう。
 その文庫本もいまやあまりに出版点数が増えてきて、売れ筋のものでないとすぐに棚から外され、絶版にされてしまう。「文庫本は古今東西の古典名著を廉価で云々」と言われ文庫に収録されると作家が「僕の本が文庫に入った!」と小躍りして喜んでいたのは大昔の話。
 そんな激しい競争のあおりを受けて本屋の棚から姿を消していった作家たちがずいぶんいる。
 そんな作家たちに新刊本の世界で会えたのが「日本(あるいは世界)文学全集」の中だったのです。
 そしてその「文学全集」が「飾り」として家庭の本棚に収まる。それを買ったお父さんお母さんはたとえ読まなくても、小さな子供さんがお父さんの書棚から夜こっそりと布団の中に持ち込んで読むかもしれない。(そんな思い出話はいろんな人の文章で目にしますよね。)家庭の本棚に収まった「文学全集」は買った人には飾りであっても、子の代孫の代に大きな影響を与えうるものなので、出来るだけ処分せずに子供の手に取れる場所に置いておいて欲しい。
 どうせ、古物として見たら供給が多すぎて驚くような高値など絶対につきません。その安値に驚くのが落ちなんですから。