出版がめっきり減った文学全集 ①

 日本が高度成長期の頃、一家に一組百科大事典を買い揃えるというブ-ムがありました。お金に少しづつ余裕が出てくると、今度はお金で買えない知識を身に付けたいと思うようになったからでしょうか。あるいは勉強する気などハナからなくても、家に来た客に「おっ、ここの主人は知識人なんだ」と思わせたくてインテリア代わりに買った人も多いと思います。
 同じ思考の延長線上で全何十巻もの日本や世界の通史もよく出版され、これも売れました。「日本文学全集」や「世界文学全集」も中堅以上の出版社がこぞって手を染めていたということは、それなりによく売れていたからでしょう。まあ何十巻もの全集物は、最初に買い始めると全巻買い揃えないと歯欠けになって格好悪いという買う側の心理もあって、出版する側にすれば最初の数巻の売れ行きで最後までの販売部数が把握しやすいというメリットもあったと思います。
 百科事典はともかく、「日本文学全集」とか「世界文学全集」を買い揃えた人の中でいったい何人の人がそのうちの半分以上を読んだか?とりあえず、いつでも読みたいときに読めるように、我が家に日本文学の(あるいは世界文学の)粋を集めて置いておきたい。そう考えて買っていた人が大部分でしょう。
 この手の出版物を買い揃えたいと思う心理は、ブランド品を買い揃えたいと思う心理と一緒なんでしょうね。大衆の成熟度がその段階を過ぎた今ではこれらの出版もめっきり減ってしまいました。
 最近の若者は、値段が少しは高くても、必要なものは必要な時に必要なだけ買うという人が増えています。これを「コンビニ意識」と呼ぶとすると、読書界ではこの「コンビニ意識」がそうとう広がってきているように思います。
 例えば、こんにち「週刊百科」なるものが常時十種類をこえて出ています。「祭り」「温泉」「城」「世界遺産」「鉄道」etc。よくあれだけ次から次へ出てくるなと思うのですが、これなど八割方「コンビニ意識」から生まれた産物ではないでしょうか。1冊五百円何がしかで1年五十冊買い揃えると三万円近い額になる。私のようなおじさんは、中身をひとまとめにして四分冊か五分冊のハ−ドカバ−の本を作ってくれたほうが綺麗な本が安上がりに買えるのにと思ってしまうのですが、今の読者の多くは「まとまった大部の本を買うよりも毎週小出しにわけられた薄い本を買うほうが読破しやすい」と考えているようです。
 どちらが良いかと問われれば、見場のいい本を積読にして部屋の飾りにするよりかは、雑誌扱いの本でも隅から隅まで読みきるほうがいい。
 (ちなみに「週刊百科」全盛の理由の残り二割は今も昔も同じ「最初に買い始めると最後まで毎週買わなければ歯欠けになっちゃう」という心理をついたもので、このかたちで出版すると売上予測がある程度たって出版部数を決めやすいので、どこも「週刊百科」の出版に乗り気なのだと思っています。)
 本を飾りとして買わなくなってきた、必要な時に必要な本だけ買うようになってきたということは、大衆意識としてはレベルアップしてきているなと思う。
 反面、寂しく思うこともあります。長くなりそうなので続きはまた次回に。